古代コンスタンティノープルの競馬場は、現在のスルタンアフメット広場(Sultanahmet Meydanı)にあたり、オスマン時代には「馬の広場」を意味するアトメイダヌと呼ばれていました。広場はブルーモスクとイブラヒム・パシャ宮殿のあいだに細長く延び、アヤソフィアから徒歩数分です。競走路としての名残は、広場の細長い形と、その中心軸に並ぶ記念碑、つまりテオドシウスのオベリスク、蛇の円柱、組積造のオベリスクです。 広場は公共の場で、入場無料、いつでも入れます。ぐるりと回って記念碑を眺めるのに、30分から45分ほどかかります。競馬場は、203年にセプティミウス・セウェルスが整備し、のちにコンスタンティヌスが拡張したもので、長さは約450メートル、およそ10万人の観客を収容できました。
見どころ

テオドシウスのオベリスク
紀元前15世紀、ファラオのトトメス3世の時代にピンク色の花崗岩から切り出され、カルナック神殿に立っていました。皇帝テオドシウス1世が390年にここに建てさせたもので、運ばれたのは上部だけですが、台座を含めて高さは約25メートルあります。切り出されてから約3500年たっても、ヒエログリフははっきり残っています。
オベリスクの彫刻のある台座
大理石のレリーフには、皇帝席にいる皇帝と廷臣、ひざまずいて貢ぎ物を捧げる異民族、音楽家と踊り子、戦車競走、勝者への冠の授与が表されています。ラテン語とギリシア語の2つの銘文は、長官プロクルスのもとで記念碑が建てられたことを記しており、所要日数はラテン語では30日、ギリシア語では32日とされています。
蛇の円柱
3匹の蛇が絡み合う青銅の円柱で、紀元前479年のプラタイアの戦いでペルシアに勝ったギリシアの諸都市が、デルフォイのアポロンに奉納した供物の一部でした。蛇の体の輪には31の都市の名が刻まれています。324年ごろ、コンスタンティヌスが運ばせました。蛇の頭は17世紀末に壊され、頭の破片のひとつはイスタンブール考古学博物館に保管されています。
組積造のオベリスク
広場の南にある、石のブロックを積み上げた高さ約32メートルのピラミッド状の塔で、後期古代のものですが、正確な年代はわかっていません。10世紀、皇帝コンスタンティノス7世ポルフィロゲネトスが修復させ、金メッキの青銅板で覆わせましたが、その板は1204年に十字軍がはがして溶かしました。固定のための穴は、今も石積みに見えます。

ドイツ皇帝の泉
広場の北にある八角形のネオ・ビザンティン様式の東屋で、1898年のヴィルヘルム2世の訪問を記念しています。ドイツで製作され、1900年に現地で組み立てられ、皇帝の誕生日である1901年1月27日に落成しました。ドームを見上げてください。金色のモザイクに、スルタン・アブデュルハミト2世とヴィルヘルム2世のモノグラムがあります。

戦車競走とニカの乱
何世紀にもわたり、青党と緑党という派閥が、戦車競走をめぐってここで争いました。532年1月、ユスティニアヌスに対する彼らの反乱、ニカの乱は都市を炎に包み、競馬場そのもので鎮圧されました。プロコピオスは約3万人が死んだと伝えています。騒乱で焼け落ちたアヤソフィアは、その後ユスティニアヌスによって再建されました。
イブラヒム・パシャ宮殿
広場の西側にあり、スレイマン大帝の大宰相のために1524年に建てられた宮殿で、1983年からトルコ・イスラム美術博物館として使われ、絨毯のコレクションで知られています。散策の中で、唯一の有料の場所です。
実用情報
ワンポイントアドバイス
広場は自由に、チケットなしで見学できます。低い柵に囲まれた記念碑を見るだけなら、ガイド付きツアーは必要ありません。テオドシウスのオベリスクの台座は、ぐるりと一周してください。各面に異なる場面が刻まれています。蛇の円柱は窪みの中にあり、現在の広場より低い古代の地面の高さが見えます。ブルーモスク、アヤソフィア、地下宮殿(バシリカ・システルン)は、どれも徒歩10分以内です。あわせて読みたい記事:ビザンティン時代のイスタンブール。
アクセス
Sultanahmet Meydanı, Fatih, Istanbul。T1トラム(カバタシュ〜バーチュラル)のスルタンアフメット駅、ディヴァンヨルー通り沿いで下車し、そこから徒歩約5分です。 ドイツ皇帝の泉は、アヤソフィアとブルーモスクのあいだにある、広場の北の入口の目印です。
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